「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のこと
はい、見てきました「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」
エヴァンゲリオンに最初に出会ったのは、月間少年エースに連載中の頃。
1995年からの連載だそうですが、私は1巻を読み始めたのがきっかけです。
LCLやらA10やら当時は知らないことばかりでしたが、その知らないことも含めて、話の面白さに引かれていったのを今でも覚えています。
TVアニメになって、(旧)劇場版になって、シン・エヴァンゲリオンになって26年。
庵野秀明さん本当にお疲れ様でした。
自分はそんなにコアなファンでは無いのですが、それでもこのエヴァシリーズを見てきて少し思ったことがあるので、新しく構成し直しているホームページの最初の独り言として、勝手に感想を書いちゃおうと思います(^^)
ネタばれOK方は読み進めてくださいね(^^)
先ずは率直な感想として、エヴァはとっても考えさせられて面白かったです。
主人公:碇シンジ(14才)の少年の成長記なのですが、このシンジはめちゃめちゃネガティブな少年なんです。
ナイーブと言い換えたほうが良いのかな。
シンジのお父さんは碇ゲンドウと言ってエヴァを作ったネルフと云われる組織の日本支部のトップで、奥さんがエヴァの実験で居なくなって(消失・エヴァと融合)しまうのですが、以降は唯一の家族であるシンジ(4,5才)を親戚に預けて仕事に没頭します。
そんな環境で育ったシンジは、家庭の温もりを知らず、また父を嫌悪しながらも父の仕事を理解しようとしてエヴァに乗り込み、使徒と呼ばれる敵と戦っていきます。
この過程で、出会いっていった人との交流もでき、迷い・悩みを繰り返して成長していくのです。
それをシリーズを通して、シンジが14才になって父親にネルフに呼び出されるところから繰り返しパラレルなエンディングに向かって行く物語です。
エヴァのお話って終わりが、TV版~(旧)劇場版、シン劇場版とエンディングが違うのです。
今回はサブタイトルに「さらばすべてのエヴァンゲリオン」のタイトルが付けられているのも特徴的でもありました。
私、このエヴァシリーズを見てて、主人公のシンジが殆ど記憶にも無い母(碇ユイ)の姿をクローンである綾波レイに重ねる姿と、シンジの父ゲンドウが消えた妻(碇ユイ)を復活させるために人類を犠牲にしてまでも推し進めるその執念に、記紀神話をもベースしているのでは?と、感じました。
主人公:碇シンジ=スサノオ命:母恋しくて髭が胸につくまで泣いていた。
父親:碇ゲンドウ=イザナギ命:妻恋しくて黄泉の国まで探しに行った。
母親:碇ユイ=イザナミ命:カグツチ命を産んで黄泉の国へ行った。
母親のクローン:綾波レイ=アマテラス大神:高天原でスサノオを甘やかした。
当然他にも登場キャラは沢山いるので全部というわけでは無いですが、あくまでもベースはこんな感じでは無いかと思います。
根拠は、シンエヴァンゲリオンシリーズを製作中に庵野監督は、シン・ゴジラの映画も撮影、公開されています。
このシン・ゴジラは、庵野さんが昔のゴジラをリメイクした映画で、庵野さんの解釈でシン=新・真・神の3つの意味が込められていると思って私は見ていましたが、劇中ゴジラを活動停止に追い込むときの作戦名が「ヤシオリ作戦」となっていたんです。
これはエヴァ好きの人なら「ヤシマ作戦」と絡めて考える方が多いと思うのですが、私は記紀神話・スサノオのオロチ退治から来ていると思いました。
ヤシオリ=八塩折酒=八回繰り返し醸した酒という意味で、八股のオロチを退治する際にスサノオを造らせたお酒の事なのです。
つまり庵野さんは記紀神話にも精通しているんだと云うことが分かります。
そうすると、シンジ=スサノオと思ってしまうのです。
他にもキリスト教のお話や仏教なんかも色んな宗教観や神話、哲学などが盛り込まれている要素がチラホラと見え隠れします。
シン・エヴァンゲリオン皆さんからはどんな風に見えるのでしょうか?(^^)
シン・エヴァンゲリオンの後は、シン・ウルトラマンの公開が控えているので、そちらも今から楽しみです。
映画って本当に良いですね(⊡.⊡)ノシ サイナラ、サイナラ。。。
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