戦争は嫌です!!
年明けから山陰(島根・鳥取)でもコロナ感染者が急増し、島根県にはまん延防止等の措置の対策もとられ、先日ようやく解除されました。
県をまたぐ移動もはばかられた昨今、海外では戦争ってどうゆうことなのでしょう(怒)
プーチン大統領って何考えてるんでしょうか、本当に!
TVで流れるウクライナの子供が涙ながらに訴える言葉に胸が痛くなります。
そんな中でも、自分には何もしてあげることも出来ません。
悶々としているのも時間だけが過ぎていくので、気分転換にドライブに出かけることにしたんですが、出掛けて直ぐにお声が掛かりました。
「那富乃夜神社」です。
実は、こちらの神社は高校生の頃に遠足で登山した記憶だけあった神社で、神社の場所は何となく知っていたのですが、御祭神jやその他の情報は全く知らないで向かっていました。
お昼より随分と早くに出かけたのですが、思っていたよりも遠く、山の上だった為、残雪も多く2WDの車では上がれないと、途中の退避所で車を降りました。
↑ 山の影で凍った道路 深さは5cm~10cm程度
スタッドレスタイヤでもお尻を振って滑り、前進しない箇所も出てきたので、車で山頂付近まで上がるのを断念しました。
そこから徒歩で3,40分歩いて登って行きました。
頂上付近には、星上スターパーク(閉鎖中)もありますので、雪が無くなればこの辺りまで来れると思いますが、そこから更に進んで行きます。
↑ 星上寺
元々修験道の修行の場として、京羅木山~星上山は山伏が多く修行されていたようです。
↑ 星上山の池の由来
那富乃夜神社でも書いていますが、十一面観音=妙見神=北斗七星の信仰のことで、真言宗の修験者も多かったようです。
星上寺から更にすすんで行くと、那富乃夜神社があります。
↑ 星上寺からの参道は雪・落ち葉・土のサンドでぬかるんでいるところもありましたが、無事に到着しました。
↑ 由緒書
この由緒書で初めて御祭神の名前が分かりました。
星神香々背男命(ほしがみかがせおのみこと)
神様のことは家に帰ってから調べようと思い、一心に願いました。
「遠くの小さな女の子たちが無事でありますように、他国の兵士の前に立って自国へ帰るように言った女性の無事を、そして戦争が早く終結するように、愚かな人間を導いてください」とお祈りしました。
↑ お祈りを済ませると、それまで薄雲って木々に覆われていた薄暗かった境内に日が差し込んで、パッと明るくなったような気がしました。
境内にあった花梅のつぼみや手水鉢の氷、拝殿までも明るく輝いた感じでした。
↑ ぬかるんだ道を進んで展望台へ
神社を後にして、遠く北の空が望める展望台へ向かいました。
↑ 5枚 展望台からの眺め
展望台から来た道を戻り、星神寺まで戻り、星の池を目指しました。
↑ 3枚 星の池への道と看板
星神寺から結構な勾配のある坂を下りていきます。
雪もさることながら、倒木も多く、看板を頼りに倒木を超えて進んで行きました。
↑ ようやく池らしきものにたどり着きました。
↑ 池の上に囲いがありました。
↑ 垣根の中には観音像と思われる石像がありました。
↑ こちらでも先程と同様に、一心にお願いしました。
伝承の漁師のように、ウクライナの人々に救いの光が届きますように。
自宅に帰り、御祭神:星神香々背男命をwikiで調べました。
星神香々背男命:別名が沢山あります。
天津甕星(あまつみかぼし)
天香香背男(あめのかがせお)
香香背男(かがせお)
天背男(あめのせお)
天村雲命(あめむらくものみこと)
読んでみると、古事記には出てこない神様ですが、日本書紀には最後まで国譲りに抵抗した神様とありました。
ウクライナに強硬的に侵攻して戦争を始めたロシア。
どうにか戦争を止めて欲しくて、祈りに来たところの神様が国譲りの時に最後まで戦った神様だったなんて思いもよりませんでした。
でも、この神様ならきっと願いを届けてくれると思います。
ウクライナと同じように、突然国譲りを迫られた葦原の中つ国・出雲。
その中で最後まで頑張った、星神香々背男命。
「どうか一日も早く戦争が終結し、一人でも多くの人の命が助かりますように・・・。」
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